涙って悪者なのでしょうか?

 

 

 

【綺麗な涙、流してますか?】

 

最近、涙を流すことが

少なくなったように感じます

 

 

泣くのって

なんとなく格好悪いし

あまりしてはいけないことって

思っていました

 

「泣いたってなにも変わらない」

とか散々言われてきました

 

たしかに、泣くことで

問題自体が解決することはないし、

誰かになんとかしてもらおうとして

泣くのは違うと思います

これは汚い涙です(笑)

 

「涙は女の武器」

とかいう言葉もあります。

これは涙が悪者にされてるけど

本当に悪いのは涙そのものでしょうか?

 

 

TPOってものはあると思います。

ですが

基本的には、感情に蓋をする必要は

ないのです。

ただ素直に、流れてくる涙を受け入れる、

そしてまた次の一歩を踏み出す…

前を向くために、自分の感情を受け入れることは

決して悪いことなんかじゃないし

弱くなんかない。

前に進めるならむしろそれは強い人

 

 

小さい頃は

自分の感情を素直に

表現できていました。

泣かなくなるって

大人になるということなのでしょうか?

 

最近、泣かなくなったのは

自分の心が揺さぶられるものを

避けるようになったからだと

気づきました。

 

物語やニュース、実生活の出来事でも

「これに近づいたら自分の心が

乱れて悲しくなっちゃうから

読むのをやめておこう」

としてしまうから。

向き合うのが怖いから。

 

 

触れずに逃げれば

自分は無でいられるから

都合の悪いものは

見ないでおこうとしていました

 

 

では

蓋をしてみなかったことに

すれば、

その問題は解決するのかというと

そうではないのです

 

涙を流したっていい

泥臭くたっていい

自分の心を乱すほど

影響を与える対象を

ちゃんと認識して

共に生きていく覚悟を決める

 

 

その過程で流れる涙は

自分にしか流せないとても

綺麗で透き通った涙なのだから

 

あなたの涙が

流れる瞬間は

どんなときでしょうか?

 

 

 

 

 

本日も最後までお読みいただき

本当にありがとうございました(^^)

漠然と誰かを助けたかった

 

 

 

自分が豊かにになることばかり

考えていました

 

 

生きていくためには

仕事にしなくちゃいけない

そればっかり考えていました

 

自己啓発本とかSNSでは

「人のためになることをしましょう♪

それが豊かになるポイントです!」

みたいな文章をたびたび目撃しては

なんとなく腑に落ちない感覚を持っていました

 

 

口では

「人の役に立ちたいから」

ということはできるけど

「本当は自分が豊かになりたいんだ」

っていう本音が私の至る所から

とにかくあふれ出ていました

 

自分でもわかるくらいに。。

どうしたら

「心から人のため」

と思えるんだろうってずーっと

悩んでいました。

もうこれを考えてる時点で

全てが自分のためだったって

今ならそれがわかります(笑)

 

 

当時の私は

誰の役に立ちたいかが

本当に漠然としていました

「どこかの誰かを」助けたい、

『助けたいのは本音だけど、

正直誰でもいい…』

こんな感じのモチベーションだったと思います。

 

 

そんな私でしたが、

先日、初めてワークショップをやることになり、

自分が学んでいることで誰を助けられるのか

ものすごく真剣に、1ヶ月くらいひたすら考えました。

 

そして、1つのゴール、

「自分を知って自分の才能を活かして生きる」

ことだと気付くことができました。

 

そのためには、

自分を正しく理解するという課題があると

わかりました。

自分の才能と向き合うということです。

 

そして、その作業をしてもらいたい

顔の見えない「その人」は、

今どういう状況で、どういう悩みを

抱えているんだろうか、と考えるようになりました。

話す側である私自身も、

聞き手が今どこにいるのかを

正しく知る必要がある、とわかったのです。

 

 

この作業をしたことによって、

誰になにをどのようにしてもらいたいのかを

常に考えながら、資料を作ることができました。

それに、いつのまにか、

聞きに来てくれる方のために、

少しでもいいものを作りたい!と

自然に思うことができていました。

 

 

 

そして、アクションを起こしたことで

今まで見えていなかった課題や

改善点などが見えてきました

 

自分が伝えたいと思っている人を

もっと深く掘り下げていく必要も

ありますし、

そもそもこの内容でそれが

伝わるのかとか、

しっかり反省・検証して

さらなる高見を目指していきたいと

思います!!

 

 

 

はじめの一歩、

すべてはここから…

 

遅ればせながら、

昨日のワークショップに

来ていただいた皆様、

本当にありがとうございました。

 

至らない点も多々ございましたが

少しでも皆様のお役に立てればと

心から思っております。

 

 

本日は最後までお読みいただき

本当にありがとうございます(^^)

 

 

ふさわしいかどうかばかり考えていた

 

 

 

「ふさわしいかどうか」

 

 

これを理由に、挑戦しない理由に

してしまっていました

 

 

この仕事は「ふさわしくない」とか

挑戦するのに今は「ふさわしくない」とか

参加してみたいけど私には

「ふさわしくない」場所だからとか

 

 

アーユルヴェーダを仕事にしていきたいと

思ってはいても

「ふさわしい」アウトプットの仕方が

わからないからやめておこうって

諦めてしまっていました

 

 

そして私を試すように

背伸びすればなんとか

届くんじゃないかっていう

絶妙なレベルの課題が

襲い掛かってくる

 

 

何度もこの襲撃に遭い気づいたこと。

それは自分で思う「ふさわしい」は

「絶対安全で絶対うまくいくフィールド」

を指しているということ。

 

労力もお金をあまり使わなくても

簡単にするするーっとできる、

そんな環境を「ふさわしい」という

言葉を使って探し求めていたんです

 

 

だけどそんな、ゲームの無敵モードみたいな

魔法のアイコンは、なにもしていない

私の前には現れてくれないと知りました

(当たり前だけど)

 

 

戦いながら、もがきながら

苦しみながら、背伸びして

「ふさわしい」自分になっていく

 

痛みを伴ってでも

手に入れたいと思える

熱量の原石を

せっかく見つけたのだから

 

 

『がんばれよ!わたし!!』

 

 

 

 

かすかに見え始めた

一筋の光を頼りに

一歩ずつ進んでいこうと思います

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき本当にありがとうございます(^^)

愛情の受け取り方

 

 

 

 

家族は仲が良いことが当たり前で

なんでも話せるのがいいこと。

休みの日は一緒に出掛けて

食事はいつも一緒。

 

 

それができない私は

親不孝者でダメなやつだって

自分を責めていました。

 

なんとなく、

「理想とする家族の形」みたいなものに

縛られて、そうじゃない自分には

失格の烙印を押して過ごしていました

 

それは親の愛情が薄いからとか

そういうことではなくて

むしろその逆でした

親がくれる愛情を正面から受け止められない…

そんな状況が25年くらい続いていました。

 

この状況に終止符を打ってくれた人、

それが旦那でした。

感情を表に出すような性格ではない不器用な彼だけど、

家族に対する愛情がとても深い人。

口に出して感謝とかを伝えるタイプではないけど

行動で愛を示すことを当たり前にできる、

優しい心の持ち主です。

 

 

だからそんな彼を見ているうちに

私も家族を大切にできる人間になりたいと

強く強く思うようになりました。

そこからだんだん、自分なりの家族との距離感を

掴む術を学びつつあります。

 

愛情の受け止め方と

愛情の返し方は人によって

違うのかもしれない。

だけど、この2つがバランスよく上手に

できるようになったおかげで

自分の一番近くにいる人を

心から大切に思えるようになりました。

 

 

恥ずかしながら、

関係が近ければ近いほど、

言わなくてもわかってくれるし、

近しい人からの愛は「受けとるもの」って

心のどこかでずっと思っていました。

わんこそばみたいに、

次から次へとどんどん追加されていくような

そういう感覚に近いものでした。

 

 

愛情の渡し方も受け取り方も

誰が教えてくれるわけでもないから

最初から上手にできる人ばかりでは

ないのかもしれないです。

 

 

完璧な形なんかないから

たくさん練習して

たくさん失敗して

少しずつできるようになっていく、

そういうものなんだと思います。

 

 

 

 

最後までお読みいただき本当にありがとうございます(^^)

 

 

いつもご機嫌でいることが正解だと思っていた

 

 

 

「いつまでも落ち込んでないで

元気だしなよ!」

 

 

この言葉で、余計に落ち込んだことのある人も

いるのではないでしょうか。

 

 

落ち込むことは悪いことで

いつも明るく元気でいなくちゃいけない

 

笑っていることが正義で

泣いていることは悪

 

だから悲しい思いには気づかないようにして

蓋をして明るく振舞って

何事もなかったように

毎日を過ごしていく

 

それを繰り返すうちに

自分の気持ちを見て見ぬ振りする

くせがどんどん染みついていく

 

 

じゃぁ、この見て見ぬ振りした感情は

見なかったことにすれば

消えてなくなるのかな?

 

決してそんなことはないと

先週の金曜ロードショーで放送していた

インサイド・ヘッド」を観て思いました

 

悲しみは、

もう一度明るく前を向くために

傷を癒すために

私たちの中に存在している

 

 

いつでもご機嫌で

ずーっと笑っていられるような

ヨロコビいっぱいの毎日だったら

どんなに楽しいだろう…

 

そんな風にずっと思っていたけど

この映画を観て

それぞれの感情にはそれぞれの

役割があるということを

改めて実感しました

 

 

落ち込んでいる人に

笑ってほしいと思うことは

励ます側のエゴであって

望んで落ち込んでいるわけではないのです

 

でもこれ、私はめちゃくちゃやってました(笑)

笑顔になってほしいから

前を向いてほしいから

「落ち込む必要がないもっともな理由」を

伝えることが一番いいと本気で思っていた

 

こういうとき、

欲しいのは正論じゃなくて

落ち込むことも「それも正解だよ」って

受けとめてくれる言葉だと気付かされました

 

自分の悲しみだけじゃなくて

人の悲しみまでも

完膚なきまでに叩き潰してきた

自分を叩き潰してやりたいと

思った次第です(笑)

 

 

2年くらい前の映画ですが

いろいろ考えさせられるので

今更ですが

「ぜひ、ご覧ください」

 

 

 

最後までお読みいただき本当にありがとうございます(^^)

 

 

 

想いを形にすることの大切さ

 

 

 

「そんなにこだわらなくてもいいんじゃない?笑」

 

 

小さい頃からよく言われていたことばです。

なかなか理解されず、

ずっと自分が変なんだと思っていました。

 

 

でも結婚式という一大プロジェクトを成功させた今、

その考え方は少し変わったものになりました。

 

結婚式の主役は花嫁だとよく言われるけど

「親のため」

「相手の親のため」

「お世話になった恩師のため」

「大好きな友たちのため」

そして、これからを共にする旦那のため…

それしかなかった。

 

 

そんな思いで、みんなの笑顔が見たいから、

もうその一心で当日まで過ごしてきました

 

普段、言わなくてもわかってくれているだろうと

思ってしまうような、

恥ずかしくなるようなセリフも

この日だけは言葉にして

ちゃんと伝えたかった。

 

こだわってこだわってこだわって

頭から何度も湯気を出しながら

旦那ともぶつかって喧嘩になって

散々泣いて…

 

誰にも気づかれなくてもいい、

自己満と思われてもいい、

誰も見てなくても、それでいい、

 

 

走り切ってみたら

細かすぎる私のこだわりを

みんなはちゃんと受け止めてくれていました

「もう全部よかった!」

このセリフにすべてが報われました。

 

 

いままでは、「自分がなにをやりたいか」

そればかり考えていました。

自分のためだけに「こだわり」を

使って生きてました。

 

でも本当は、こだわりって

誰かのために使ったときに

初めて、光り輝くものなんだなって。

 

そしてこの、

こだわりを作っているモチベーションは

相手に伝わるから。

 

 

どれだけ考えても100%なんて

無理かもしれないけど

近づける努力は決して意味のないものではない

 

 

こんな職人気質な自分も

全部私なのでしっかり受け止めて

仲良く生きていこうと思います(笑)

 

 

 

最後までお読みいただき本当にありがとうございます(^^)

 

 

 

 

「母になる」の裏側で娘が思ったこと

 

 

 

 

娘だって母親に自分らしく生きてほしいと思ってる

 

 

 

昨日、録画してた水曜ドラマ「母になる」最終回を

観て、たぶん本筋と直接関係ないけど

すごく考えさせられるシーンがありました

 

ばりばりと仕事をこなす母親を持つ娘が

「自分がいるからやりたい仕事を断るなんてこと

ママにしてほしくない!」っていう思いを

ぶつけるシーン。

 

でも本当は強がりで、

夢を諦めてほしくないけど

一緒にいてほしいし、甘えたい

 

 

私の母親は専業主婦だったから

 仕事or私 ではなかったけど

「今はごはん作ってるから、遊んでとか

言わないようにしよう」とかそういうレベルのこと

無意識にたくさん思ってたんだなって

素直に甘えている少女を見て気づいてしまいました

 

 

「ママは忙しいから」が

いつのまにか

「自分はもうそんな年齢じゃないから」

に変わっていました

 

いちばん近い人だからこそ

心配かけたくないし

「手のかからない娘」でありたかった、

そう思っていたことに気づかされました

決して「手のかからない娘」ではなかったですが(笑)

 

 

母が完璧な子育てをしようとしていたのではなく

私が完璧な娘になろうとしていたんだと思います

母は、母にできる限りのことをしてくれた、

心からそう思っています

 

いつかきっと、自分が母親になったときには

「母になる」ことに必死で

「娘であること」を忘れてしまいそうなので

大切な気づきとしてとっておくことにしました

 

 

反抗もしたし、ひどいことも言ったし

たくさん甘えさせてももらって

全然完璧な娘なんかじゃないけど(笑)

 

自分にそんな気持ちがあったと

知って驚きと涙が止まりませんでした

 

 

 

いつどこで、心ざわめく瞬間が

訪れるかはわからないものだなぁと

改めて思い知らされました

 

 

ここまで読んでいただき本当にありがとうございます(^^)